ヘルスケア分野は伸びていきそうだけど、どれぐらい市場が拡大するのが予想がつかない・・・。インドが注目されるけど、進出してよいものか・・・。買収したい会社があるけど、実態や成長力がつかめない・・・
こうした悩みは経営者がよく抱える悩みです。将来が不透明・不確実な状況でも経営者は何らかの判断を下さなければいけません(何もしない場合は、何もしないという判断をしています)。
不確実な状況で判断するためのヒントが、経営学のリアル・オプション理論にあります。リアル・オプションというのは金融工学で生まれた言葉で、簡単に言えば、「買う権利」ということです。
このリアル・オプション理論を実ビジネスでどう活用していくのか、その考え方と応用方法について触れていきたいと思います。
目次
「小さく事業をはじめる」ことの意義を理解する(事業計画・判断に応用する)
さて、そもそもリアル・オプションはなぜ事業に応用可能なのでしょうか。
このオプション戦略のビジネスに応用を初めて主張したのはMITのスチュワート・マイヤーズという人で、1984年に発表した"Finance Theory and Financial Strategy"という論文でした。
この論文を契機に、「事業計画や評価」への応用や、さらには「経営戦略全般」への応用がなされていきました。
まずは「事業評価」の観点から考えてきましょう。例えば冒頭のヘルスケア市場について、ある自動車部品メーカ―が参入を考えているとします。ヘルスケア市場は高齢化で今後も拡大していくでしょうが、どの程度拡大するかは正直読めません。仮に年率2%程度にとどまるかもしれませんし、12%成長するかもしれません。
さて、その会社が8%成長であれば採算が合う、としたときに進出すべきでしょうか?
単純に考えれば平均をとって7%((2%+12%)÷2)とすると採算が合わないのでやめとこうとなります。ただ本当は12%の成長だとすると、せっかくの機会を逃してしまうことになります。
ではリアル・オプション戦略ではどう考えるのしょうか。答えは「小さく始める」です(金融工学的には、「市場が本当に拡大したときの権利を買う」です)。
最初に大規模な投資をするのではなく、「小さく始める」メリットは、入山章栄「世界標準の経営理論」によれば、大きく4点あります。
1点目は「①市場が伸びなかった時の撤退コストを最小化する」です。ヘルスケア市場が思ったより拡大しない場合、本格参入すると撤退コストも大きくなりますが、小さく始めておけばそのコストは最小化できます。
2点目は「②市場が拡大したときにチャンスを逃さない」です。ヘルスケア市場が急拡大したときに手を付けておけば、新設よりも増産の方がスピーディに対応することができます(金融工学ではコールオプションで勝った「権利」を行使する、ということになります)。
また3点目は、「③不確実性が高いほど(市場急拡大した場合のインパクトが大きいほど)、価値が大きい」ことです。1点目に申し上げた通り、小さく始めておけば失敗したときの損は限定的ですが、市場が急拡大したときは非常に効用が大きいわけです。
また付随的な効果としては「④学習効果」もあります。とにかく始めてみることによって、ヘルスケアでのビジネスがどういったものかがわかり、不確実性が下がることになります。
皆さんの周りでも、「実態がわかるまで動こうとしない経営者や管理職」というのがいるのではないか、と思いますが、それはこうした「オプション」を放棄して、機会を逸失しているわけです。
M&Aや海外進出でもリアル・オプションの発想は有効
上記の考え方は、M&Aでも同じです。企業や事業を買収する場合は、もちろん買収前に徹底的に調べるわけですが、それでも実態を把握するのは難しい(不確実性が高いです)。
こうした場合にもリアル・オプション的な発想は有効です。
まずは合弁会社や技術提携から初めて、相手の企業の実態を把握した後で、マイナー出資、最終的には完全買収・子会社化するとうステップがあるかと思います。
海外進出も同様です。リアル・オプション的な発想では、まずは現地企業に販売委託をすることで現地の市場環境を把握し、その上で本格的な進出をしていくというわけです。
えてして「小さく始める」ことを忘れて一足飛びに本格投資・企業買収・現地展開をした結果、手痛いヤケドをする例が絶えません。
どの業界も不確実性がより高まっている中で、リアル・オプション的な発想はより重要性が増しているように思います。
起業が進まないのは、倒産が難しいから?
こうした発想はシリコンバレーではある意味当然の考え方です。ITサービスのような事業の不確実性が高い分野では、とにかく必要最小限で初めて、修正を繰り返すことで、拡大する市場を取り込んでいくという発想です。
また、起業がなぜ進まないのか?に対する解もリアルオプションで説明が可能です。著名な経営学者のJ・バーニーは2007年の"Bankruptcy Law and Entrepreneurship Development"という論文で、起業は不確実性が高いので、下振れリスクが大きいほど、起業も起きにくいとしています。
また2011年の”How do bankruptcy laws affect entreprenuership Developent around the world"という論文では、倒産法が「失敗事業をたたみやすい」ほど、企業を促すとしています。
こうした「リアル・オプション」的発想はビジネスだけではなく、政策的にも有効なように思われます。
なお、近年の経営学の研究成果については、早稲田大学教授の入山章栄「世界標準の経営理論」がたいへんよくまとっています。関心のある方はぜひご一読ください(820pageもある厚い本なので、電子書籍がおススメです)。