企業が収益を上げる(いい経営をする)には激しい競争環境から「差別化」を図ることにある、といっても過言ではありません。ただその「差別化」の手段は様々あり、それをどう実現するかが大きなポイントになります。
こうした議論はじつは、経営学の前に経済学、特にミクロ経済学で議論されていました(そもそも経営学はその論理の前提を経済学に立脚していることが多いです)。ミクロ経済学では企業が完全競争にあるという極端な前提を置いて、そこから現実に近づけていくというアプローチをとります。
その際の完全競争の前提は、以下の5つです。①無数の企業がいる、②参入障壁がない、③製品・サービスはみな同じ、④人や技術は自由に移動、⑤すべての情報をみな知っている
ただ、こうした条件はもちろん現実世界には存在しません。たとえば、⑤情報を誰もが知っている(情報の非対称性がない)とうことは現実にはありません。このことがどのような影響を及ぼすかというのが、経済学や経営学で議論されてきたわけです。この情報の非対称性について有名な例が、経済学者のアカロフが提示した「レモンの原理(あるいはレモンの市場)」です。
目次
レモン(中古車)の情報の非対称性が、劣悪な市場を作ってしまう
レモンの原理は有名で、わかりやすいので、経済学の入門レベルの教科書でもよく出てきます。簡単に説明していきましょう。レモンの原理は提唱者のアカロフが中古車の例で説明していますので、ここでもその例にならいます。
中古車の販売業者が2社いるとします。仮に良心的な会社をA社、悪徳な会社をB社としましょう。A社は100万円の価値がある車を100万円としてうってます。いっぽうでB社は50万円の価値がある車を100万円としてうっています。さてあなたならどちらの車を買いたいですか?当たり前ですね、良心的なA社の車です。
しかし実際には購入者には本当にA社、B社のどちらの車がいいかは見た目では判断できません。そうするとお客さんは本当はもっと安いのではと思い80万円にしてください、と値下げを提案します。そうすると何が起きるでしょうか?
良心的なA社は100万円のクルマを80万円ではうれないので販売をやめてしまいますが、悪徳なB社は80万円でももうかるので割引して売ってしまいます。この結果として良心的なA社はいなくなり、悪徳な会社だけが市場に残ってしまう、というわけです。
さてどうでしょうか?経済学ではこの現象を「逆選択」ですとか「逆淘汰」という言葉で説明しています。本来残るべき企業が選ばれず、本来淘汰されるべき企業が残ってしまうからです。こうした現象は私たちの身の回りでもそこかしこにあります。
わかりやすいのが住宅・不動産市場です。一見きれいに見える一軒家、マンションですが、購入してから不良物件だったとうことは本来あってはいけないのですが、実際にたびたび起こっています。またネットビジネスも非常にそのリスクがあります。ネットで安く購入したと喜んでいたら、不良品が届いて、慌てて確認したら会社がなくなっていた、という事件もあとを絶ちません。
M&Aの世界でも情報の非対称性が起きています。買収する側はできる限り安く、買収される側はできる限り高く売ろうとする中で、情報の非対称性からなかなか買収が進まない、あるいは買収後の失敗が相次いでしまうということが現実におきています。
情報の非対称性を解消する2つの方法(スクリーニングとシグナリング)
情報の非対称性が引き起こす不幸は、良心的な売り手がいなくなり、買い手も損をするという点にあります。ではどうやってそれを解消するのでしょうか?経営学では、大きく①スクリーニングと②シグナリングという2つの手段が挙げられています。
カタカナで書くとややわかりにくいですが、非常にシンプルです。①スクリーニングは情報が少ない人が、情報を持っている人から情報を引き出す手法、②シグナリングは情報の多い人が情報の少ない人に情報を与える手法です。それぞれの手法を具体的に見ていきましょう。
スクリーニングは情報を引き出す仕組みを作ること
まず、①スクリーニングですが、シンプルな例が採用活動におけるエントリーシートです。事前にエントリーシートで情報を出してもらうことで雇用する側の情報の非対称性をなくすことが目的です。またスクリーニングの例としては、商品を2つに分けるということもあります。例えば狭い保証で価格が安いもの、広い保証で価格が高いものに分ければ、顧客がおのずと、どちらかを選ぶ(スクリーニングされる)ということが起きます。
情報を出してもらうことへのハードルが高い場合は、情報を提供してもらう仕組みを作ることも重要です。例えば、ネットビジネスの場合最初に商品の問い合わせがあった際に、売り手は詳細な顧客情報が知りたいです。ただ問い合わせをした側はメリットがないので、それを解消するために、記載いただいた人にクーポンを提供する、メルマガなどの情報提供を無料でする、などの工夫をしているわけです。
シグナリングは情報を積極的に提供して、正しくかつ判断してもらうこと
では、②シグナリングとは何でしょうか。スクリーニングとは逆に、シグナリングは自らの情報を公表・提供して商品・サービスの価値を信じてもらうことです。
例えば、企業の格付というのは非常にわかりやすいシグナルです。一般の株式投資家は必ずしも企業の業績評価や内情についてすべてをわかっているわけではありません。そのため外部の第3社が格付をすることで、安心して投資家も企業の株を買えるわけです。
また、シグナリングの視点で成功したネットビジネスでは非常に多いです。価格.comや食べログ、メルカリといったサービスは、既存顧客に各企業の採点をしてもらう(シグナリング)ことで、これから購入する顧客が安心して購入することで、レモンの市場を回避する仕組みを作っています。
情報の非対称性をみつけ、解消することが大きなビジネスチャンスに
以上のように、情報の非対称性というのは、実は世の中に本当にたくさん発生しています。売り手となる企業と買い手となる顧客の関係だけではありません。
例えば企業経営者と株主、銀行などの債権者の間でも情報の非対称性があるがゆえに、様々なトラブルが発生します。これは経済学・経営学の世界でエージェンシー問題と呼ばれており、その解消が一大テーマになっています。
また、企業の中でも、経営者と従業員、上司と部下、同僚の間でも情報の非対称性が発生しており、それが損失を生んでいることが多いです。このテーマは社会学や心理学を基盤とする経営学の世界で様々な研究がおこなわれています。
ビジネスの視点では、情報の非対称性を「発見」し、その解消をチャンスととらえられるかが大きなポイントです。例えばHR(HumanResource)の世界では、360度評価の導入というのがはやりました(いまは当たり前になっています)。これは上司と部下の非対称性の解消を促す有力な手段でした。
いわゆるビックデータ化が様々な領域で進む中、今後も情報の非対称性がさらに広がる可能性もあります。そうした視点を持ってビジネスチャンスを探っていくことが重要でしょう。
なお、近年の経営学の研究成果については、早稲田大学教授の入山章栄「世界標準の経営理論」がたいへんよくまとっています。関心のある方はぜひご一読ください(820pageもある厚い本なので、電子書籍がおススメです)。